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第7官界彷徨

第7官界彷徨

放送大学2013年

 2013年4月4日
 放送大学を受講することにしました。「日本の物語文学」
 嬉しいことに、まず最初は大好きな立原道造の詩から始まったのでした。

「はじめてのものに」
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村にひとしきり  
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

その夜 月は明かったが 私はひとと
窓に凭れて語りあった(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れていた

・・・人の心を知るとは・・・人の心とは
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
捉へようとするのだらうか 何かいぶかしかった

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と・・・また幾夜さかは 果して夢に
その夜習ったエリーザベトの物語を織った

☆浅間山のそばの信濃追分での出来事に、「火の山の物語」「エリーザベトの物語」が織り込まれ、それがこの詩の抒情性と浪漫性を高めているんですって!

 この詩は好きだったけど(ブログのTOPにも掲載)物語に着目はしてなかったです。

 火の山の物語は、まず伊勢物語の第8段
 
=昔、男ありけり。京や住み憂かりけむ。東の方に行きて、住み所求むとて、友とする人、一人二人して行きけり。
 信濃の国、浅間の嶽に、煙の立つを見て、

*信濃なる浅間の嶽に立つ煙 遠近人の見やは咎めぬ=

 高子との恋愛で京に住みづらくなった業平くんが、東へ下ってきたのね♪

 源氏物語では
 若紫の巻で、源氏が従者から諸国の有名な山の話を聞く場面があり、そこに「富士の山、なにがしの嶽」もあって、これは富士山と浅間山のことらしい。

 富士と浅間は並び称されていたことを立原は知っていて、浅間から富士へと意識を移し、
 古今和歌集の仮名序で、つらゆきくんが
「富士の煙に比べて人を恋ひ」と書いたように、活火山の噴煙は人を思う恋心の比喩とされてきたし、竹取物語への連想もふくらむ。

 立原が尊敬していた古今和歌集のさだいへくんの歌
*今ぞ思ふいかなる月日富士の嶺の峰に煙の立ち始めけむ
           (拾遺愚草)
 
 これらが「火の山の物語」という言葉になったらしい。

「エリーザベトの物語」は、ドイツのシュトルムの「みずうみ」のヒロインの名前で、当時の旧制高校の学生たちの愛読書だったそうです。

 この詩には、日本の古典から学んだ物語と、西洋の小説から学んだ物語が融合していて「近代現代人の『物語観』を象徴する、一つの典型なんだそうです。
 へ~え知らなかった♪

 『物語』には、源氏や竹取みたいな架空の人物で展開する「作り物語」と、業平くんの伊勢や、大和物語みたいに現実に存在した人や歌をめぐっての「歌物語」があるそうです。

 これについて細川幽斎さまは(古今伝授のあの人ね♪)
・源氏物語は虚構を出発点としながら現実に近づき
・伊勢物語は現実にあった出来事を出発点としながら、実名を消して虚構に近づいた。

 と分析されたそうです。
 結果的に、向かう方向は違うけど、どちらも真実と虚構の融合で、それが「物語」らしい。

 これから、平安から明治までの物語を学びます!
 
4月18日
 今日は、伊勢物語です。
 伊勢物語は、作者が不明で、複数の作者が在原業平の残したエピソードや民間伝承を拾って、長い間熟成させ、藤原定家がこの形にまとめたらしい。
 定家こそ、伊勢物語の第二の作者といえるのだそうです。

 この定家の仕事により、伊勢物語は長く愛される古典としての地位を確立したのだそうです。

 以後、膨大な読者層を獲得。
 江戸時代にはベストセラーになり、文学だけでなく尾形光琳などの美術工芸にも影響を与えたのだそうです。

 伊勢物語は、鎌倉、室町時代にさまざまな研究がなされました。

『和歌知顕集』では、伊勢物語第二段の
「昔、男ありけり」「西の京に女ありけり」
 の男を業平、女を文徳天皇の后の藤原明子をあてはめた。

『冷泉家流伊勢物語抄』では
男は業平、女は清和天皇の后の藤原高子としているそうです。

 室町時代の一条兼良は、厳密な研究を重ね『伊勢物語愚見抄』をあらわし、この両方とも間違いであるとしました。

 業平は3733人の女性と交際したと言われ、その中から12人が選ばれて伊勢物語の「女」になったとされた。
 もちろん史実ではないようだけど、12のパターンは、

 初冠や筒井筒(世阿弥の能も傑作らしい)の、幼馴染、紀有常の娘から始まって、最後の妻といわれる歌人の伊勢まで。

 「業平と天皇の后との不倫」というパターンが、12のうち4人まで!
 藤原氏の摂関体制が確立したこの頃、その三代の后のいずれとも業平は関係し、あまつさえ不義の皇子も誕生している!
 源氏物語!

 12人の女性との愛を一人の男の業平を通して書くのは、人生の成熟していくさまを表現するのに必要だったらしい。

 伊勢物語はその後の物語文学に大きな影響を与え、紫式部はその「愛のカタログ」を活用、アレンジして、源氏物語を紡ぎ出したのだそうです。

 塚本邦雄のうたも紹介されました。
*昔、男ありけり風の中の蓼ひとよりもかなしみと契りつ

 私は、伊勢物語のほとんどの「女」は、二条の后、高子(たかいこ)だと思いたいです!

4月25日
 伊勢物語は、短編の集合体という形であるが、「昔男=業平」の一代記になっている。

 日本文学の大きな話型の一つに「貴種流離譚」があり、業平の父は平城天皇の皇子阿保親王、母は桓武天皇の皇女伊都内親王なので、業平は貴種。

 光源氏、ヤマトタケル、スサノオ、義経なども貴種。

 貴種は生まれながらにして貴い存在なのだが、何らかのアクシデントにより、都から辺境へと、孤独な旅立ちをすることになる。

 そのさすらいの貴種と出会い、立ち直るきっかけを作る力を持った女性のことを、折口信夫は「水の女」と名づけたそうです。

 源氏の明石の君みたいな人。

 伊勢物語第7段で
「昔、男ありけり、京に有り侘びて東に行きけるに」
 と、突然男は東国におもむきます。

「有り侘び」とは、どうしても都にいられなくなった、という意味。

 第6段で男と二条の后との破局があるので、道ならぬ恋に挫折した男が、辺境に旅立ったことになるらしい。

 第8段に浅間の嶽、第9段に八橋、宇津の山、富士山、隅田川が登場し、15段の信夫山まで旅をする。

 ところが、業平の記録には、長期間にわたって都を留守にしたことが見当たらないらしい。

 そこで中世初期の研究者たちは、京都郊外の東山に3年間蟄居、時々京都近郊に外出した、と説明したらしい。

 第9段
『昔、男ありけり。その男、身を要無き者に思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて、行きけり。
 元より友とする人、一人二人して、行きけり。
 道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。』

 我が身を、要のないものと思わざるをえなかったが、どうせ旅立つならば自発的な旅にしたい、という心意気もあり、また「惑ひ行く」という所に動揺や不安を感じ取り、読者は業平に心を通わせるようになります。

 三河の国八橋で、かきつばたが美しく咲いているのを見た一行は、「かきつはた」を折り込んで歌を詠みます。
*唐衣着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

 かきつはた、だけでなく、
・唐衣、着る なれる、褄、張る、着る・・・という着物関連用語

・慣れる、妻、遥々、来る、旅・・・という妻を残してきた旅関連用語

 を折り込んで、高度な技巧がなされているそうです。
 そして、皆が泣いたあとで、

『と詠めりければ、皆人、乾飯の上に涙落として、潤びにけり」
 という落ちで笑わせる。

 細川幽齋は、伊勢物語の疑問点ガイド「伊勢物語けつ疑抄」で、
「些と俳諧体に言へり」
 と評しているそうです。幽斎は、伊勢物語のユーモラスな場面があるたびに
「ここは、物語の俳諧である」
 と評しているそうです。

 第9段の終わりに、業平は隅田川で都鳥を見ます。そこで武蔵から下総への国境で、一行は舟に乗るのを躊躇して、渡し守から、早く乗るように催促されます。

*名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人は有りや無しやと

 故郷を遠く離れた不安、今までの人間関係を維持できなくなった悲哀。
 伊勢物語には、男を再生させる「水の女」が登場しないのだそうです。

 源氏物語では、須磨の巻で都を離れた源氏が、紫の上と悲嘆の別れをするのですが、明石の巻では明石の君と結ばれ、「再生」への道を歩み始めます。

 源氏物語が貴種流離譚のオーソドックスな展開であるのに対して、「再生」を求めつつそれが得られない業平の哀しみ。
 主人公に安易なハッピーエンドを許さない「伊勢物語」の厳しい世界は、人間観の深さにおいて、ある意味源氏物語を凌ぐ存在・・・・とのことです。

 細川幽斎は
「業平の一期の間を書くゆえに、元服の始めより終焉の夕べまでのことを、この物語に載せたり」と。

 最後の125段は

『昔、男、煩ひて、心地死ぬべく覚えければ、
*遂に行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを』

 業平が没したのは880年。
 幽斎は、自分が伊勢物語の注釈書を書いている1596年が、716年後であると、正確に書いているそうです。

 それが、実在した業平のイメージが、言葉として定着し人々に愛され続けた時間の豊かさ。 
 2013年の今も続いているのね♪


2013年5月9日
 放送大学で、日本の物語文学の5回目を聞きました。
 源氏物語の少し前の頃。

まず「うつほ物語」
 竹取物語と伊勢物語は、長編的要素を含んでいるけど、初めての長編は「宇津保物語」だそうです。

 源順=したごう、の著とも言われているが、複数の男性知識人の作らしい。
 成立は源氏物語より前で、長さは、現代の日本古典文学大系で、うつほが全3冊、源氏は5冊なんですって!

 先生は、長く感じた、単調に感じた、とのこと。
 2つの家系の物語で、
 清原俊蔭・・・娘・・・藤原仲忠・・・犬宮は、琴の秘曲を伝承しており、物語の三要素として、恋、戦、音楽、なんだそうです。

 「大和物語」
 これは、複数の女性(女房)によって書かれた、伊勢物語と並ぶ歌物語で、10世紀半ばに骨格ができ、源氏物語が成立する直前に今の形になったらしい。

 全編を通して統一する感じはないそうです。
 しかし、複数の男性作者によって完成された宇津保物語と、複数の女性作者によって作られた大和物語・・・なんて知らなかった!


 第45段には、こんなお話と歌が。

=堤中納言の君(藤原兼輔)が、姫を醍醐天皇に入内させた折に、多くの女御、更衣の間に多くの皇子、皇女を儲けた天皇なので、姫の行く末を思い嘆き

*人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな

 と詠んだので、帝はいと哀れに思われたそうです。
 姫はのちに第13皇子の母になられました=

 醍醐天皇は、源氏物語の桐壺帝のモデルともされる色好みの天皇で、光源氏のモデルの一人とされる源高明は、醍醐天皇の第十皇子なんですって!

 そして、藤原兼輔とは、紀貫之たちのパトロンで、ひ孫は紫式部なんですよ!

 源氏物語には、この歌が繰り返し引用されているんですって!

 この歌は、古今和歌集のあとの勅撰集「後撰和歌集」にも載っていて、作られた場面が短く書かれています。

 大和物語147段の「生田川」は、観阿弥の謡曲「求塚」、森鴎外の小説「生田川」になっているそうです。

 「落窪物語」は、いぢめられる高貴な継子姫が、貴公子の従者と姫にお仕えする女房に、貴公子との仲をとりもたれ、めでたしめでたし、となります。

 このめでたしめでたしに反問し、人々の幸福について厳しく問い直したところに源氏物語の凄さがあるらしい。

「住吉物語」は、落窪物語に似ているが、姫が「本当の居場所」を求めてさすらう点が強調され、これは、源氏物語の「浮舟」のさすらいに似ている。

 けれど、多くの継子譚が「結婚」を以って女性の最終的、安定的な「よるべ」としているのに対して、浮舟には「よるべ」が与えられない。
 そこに源氏物語の本質が見えてくる・・・のだそうです。

放送大学6回目
「真実の自己を求めて=源氏物語第一部を読む」

 この回のポイントは
=源氏物語は、光源氏という貴種がさまざまな愛と旅を経験することにより、人生の真実を掴み取ろうとした「心の旅路」と考えられる。
 今回は源氏が「自分が自分でない苦しみ」を通して、「自分が自分である喜び」を謳歌するに至るまで=

 今までの物語と違い、成立のプロセスがわかる源氏物語。
『紫式部日記』の寛弘5年11月1日の場面で、藤原公任が「源氏物語」を話題にしているので、その時点で紫式部が源氏物語を執筆中だったことがわかるそうです。

 この物語は桐壺から夢浮橋まで54帖から成り、順序も不明だが、鎌倉時代の初期に藤原定家によって「青表紙本」が行程され、現在の姿になっているそうです。

 そして戦後の国文学者たちにより、
第1部=藤の裏葉まで
第2部=若菜から
第3部=宇治十帖
 というのが定説になったそうです。

 室町時代の一条兼良は、注釈書「花鳥余生」のなかで
=わが国の至宝は源氏物語。
 玉が磨けば磨くほど光るように、源氏物語は読めば読むほど深くなる。=と言っているらしい。

 なぜ深読みができるのか、それは
 日本、中国、天竺を起源とする膨大な文学、宗教、歴史が流れ込み、攪拌されて一つの物語となったため。
 
 古今和歌集や白氏文集などからの言葉、伊勢物語の12通りの男女のかたち、竹取のテーマ、などが注ぎ込まれ、

 源氏には新しい言葉もキャラクターも場面設定も話型もないのに、どれよりも、魅力的なことば、人物、場面、感動的テーマに満ちている・・・のだそうです。

 それ以前の文化を取り込みつつ、新しい文化を創る、その稀なる成功例が源氏物語なんですって!

 なので、源氏を自分の生きる時代に合わせて「読み換える=読み改める」ことで新しい文化を切り開こうとする文化人が、現代に至るまで続々と出現しているのだそうです。

(長くなるので、続きは明日♪)
 それにしても、枕草子の「物語は・・・」に源氏物語が出てこないのも、研究対象になるかもね。

5月  日
今週の放送大学「日本の物語文学」は、7回目。

 源氏物語の第2部についてでした。

 光源氏は40歳を迎えます。もう老人。
 徒然草の83段に「こう龍の悔い」という言葉があるそうです。
 空の高みまで上り詰めた龍は、それから先は落ちるしかない、という意味。

 源氏の人生も、40歳までに満ちてゆき、以後は欠け始めるのです。

 作者は、光源氏の前半生を総括し、これまでの人生で源氏の求めてきた幸福が、真の幸福であったか、問い直します。
 地位、子孫繁栄、富、大邸宅の造営、女君たち、そしていつまでも主人公として読者から賛美されること。

 紫式部は、前半生を検証し、否定していきます。

 四十の賀を迎えた源氏は、青年のように若々しく輝いている。それに疑問を抱く紫式部。

 源氏は15歳に満たない女三の宮を迎えます。
 その結果は、年齢が不釣合いな夫婦と、正妻の座を奪われた紫の上の苦悩という不幸を呼び寄せます。
 
 柏木は女三の宮と過ちをおかし、罪の子薫が生まれます。

 第1部には、源氏が藤壺と密通し罪の子を天皇として即位させた経緯があります。
 もし、第1部の源氏の行為が許されるのならば、第2部の柏木の行為も許されなくてはならない。

 もし、柏木の密通が死をもって贖わなくてはならないものならば、第1部の源氏の行為も同様であって、それ以後の源氏の人生は全て否定されるべき。

 若菜の下で、源氏は柏木を酒宴の席に呼び。皮肉を言い非難と憎悪の視線を柏木に放つ。
 恐れた柏木は病の床につき死んでしまう。

 柏木の死は、それまでの源氏の栄華と幸福の基盤が崩れ去ったことを意味している。
 
「横笛巻」で、源氏の長男の夕霧は、柏木の妻である女二の宮から、柏木の形見の横笛を受け取る。
 ところが、夕霧の夢に現れた柏木は、その笛は別の人に伝えたいという。
 それを聞いた源氏は、その横笛を薫に伝えようと思う。

 ここで、源氏物語第3部の主人公は、源氏の子である夕霧ではなく、柏木の遺児の薫になることが、強く暗示されている。

 源氏の愛が生きる全てであった紫の上は、女三の宮の登場で存在意義を失い、御法巻で死を迎える。
 紫の上が源氏と読者に突きつけているのは、「愛こそすべて」という物語文学への、死をかけた抗議なのです。

 源氏物語第2部は、人の心の実態を明らかにするために文体も長く、一つの巻きも長大化している。
 人間の幸福は虚偽妄想であると暴きたてる文体の発見が、源氏物語を傑作にしているのです。

 長い内面的苦悩ののちに紫の上は死に、1年の喪に服した源氏は、その死の意味を問い続ける。
 それが源氏の登場する最後の巻になる。

 紫式部は、第2部を書き終えて、自分の作品が壮大な「失敗作」だったことに気づいた。
 幸福の探求に失敗してしまったのだ。

 「権力」「名声」「子孫繁栄」「不老不死」などは皆、人間の真の幸福ではない、と喝破したことで、源氏物語は名作となった。
 それ以後の時代、人々は真実の自己をみつめる「自照文学」の隆盛を迎える。

 紫式部は、それでも男女の間の「真実」を求めて第3部、宇治十帖にとりかかるのです。
 私は、源氏の姫君の中で、女三の宮の姉の女二の宮(落葉の宮)が好きです。

 左大臣(昔の頭中将)の息子の柏木の妻だったのですが、女三の宮と過ちをおかしたことに悩んだ柏木が亡くなってしまったあと(源氏と葵の上の息子)真面目な夕霧が思いを寄せます。

 小野の別邸に母と暮らす落葉の宮は、それを徹底的に拒否するけど、最後はその思いに折れるのですね。
 真面目な夕霧は、以後、大事にしてくれるので、良かった♪

5月30日
 第8回
「源氏物語を超える源氏物語」

 源氏物語第三部は
「匂宮」「紅梅」「竹河」の三帖と、宇治十帖。

 匂宮の最初に
「光隠れ給ひしのち」で始まって、源氏がすでにいない。
 
 源氏の家を継いだ「夕霧」(葵上の子)はまじめな常識人なので、物語の主人公になれない。
 そして、世間的には源氏と女三の宮の息子だが、本当は藤原氏の柏木の子の「薫」が、秘密を抱えて主人公となる。

 物語は、女君たちの行動が中心だが、薫の年齢が「年立」になって進んでいく。

 源氏物語の読者は、正編では源氏の目を通して女性たちのさまざまな生き方を見てきた。
 しかし、宇治十帖で読者は直接女君たちに感情移入を求められ、そしてことごとく裏切られる。
 読者が物語の女性たちと一体化したいと思いつつ、できないもどかしさが最高潮に達した時点で、物語は唐突に終わる・・・のだそうです。

 私は、源氏物語を読んで、まだ浮舟の出現まで到達していないのですが・・・。

 源氏物語の正編で、源氏を拒む女性は何人かいたが、それは源氏を愛しているから拒んだ。
 しかし、紫の上が結婚の後に幻滅し絶望することで、
「男女の結びつきは少なくとも女性を幸福にしない」という、紫式部の物語文学否定に到達。

 宇治十帖の大君は、父八の宮から、宇治を離れるなと遺言されます。
 求めてはいけない、ただそこに「在る」だけで人生を終えるように、ということ。

 大君は徹底して薫を拒み、しかし父が誇り高く生きられるだけの財を残してくれなかったため、妹の中君を匂宮に嫁がせます。
 その心労から病気になって死んでしまいます。

 大君は「人間関係を幸福とみなす物語文学への否定」そのままの存在。

 浮舟は、八の宮がわが子として認知せず、母の再婚相手の意地の悪い常陸介とともに辺境で育ちます。

 薫の気持ちをそらすため、中君は異母妹の浮舟を薫に紹介。大君に似る浮舟を薫は愛人にします。
 
 浮舟と匂宮と薫の三角関係は浮舟を苦しめ、宇治川に身投げをして、横川の僧都に助けられ尼になるらしい。

 そののち、僧都から還俗して薫の妻になることが持って生まれた宿世である、と説かれます。

 最後に紫式部がたどり着いたのは、泣いているだけで、自分がどのように生きたらよいかわからず、ただ突っ伏して泣いている浮舟の姿。
 物語は、作者も登場人物も幸福にしなかった・・・・。

 のだそうです。
 読者はそれからどうするのか?
 1・浮舟のよりよいこれからを考える。
 2・もういちど読み返して、どこから幸福と不幸の道が混乱したのか探る。

 んだそうですけど。頭が痛くなりそう。

6月6日
 放送大学は、源氏物語が終わってしまったので、興味半減ですが、7月で終わりだし、まとめを書くのを義務と思わないと続けられないかも、と思って書こうと思います。

 それに、BS歴史館で西鶴の「好色一代男」を取り上げていたのを見たら、すごく面白そうだったし、こまつ座の樋口一葉も見にいくので、何とか興味をつなげつつ、聞き通したいと思います。

第9回
 源氏物語以後に書かれた平安時代の物語を「後期物語」という。
 後期物語の作者たちは、源氏物語で使われた用語を使い、良く似た人物を登場させ、似た話型、類似の場面を描き続けた。
 彼らは源氏物語に憧れつつ、越えられない壁として絶望し続けた。

 中でもっとも評価の高いのが「狭衣物語」
 藤原定家は、歌人の必読書として狭衣物語を上げている。
 作者は、源頼国の娘(?~1092?)とされている。
 成立は11世紀後半、白河法皇の院政期。

 内容は、狭衣中将として登場する主人公が帝位につくまで、
 源氏の君、女二の宮、飛鳥井の姫君、一品の宮と恋愛し、在明の君と結ばれて幸福に暮らすという複雑な恋愛小説。

 全4巻の長い物語でありながら、すらすらと読ませる魅力的なものだが、源氏物語の登場人物や物語の既視感がある。

 後期物語の作者にとって、物語を書くということは、源氏物語の様式で考え、表現するとしか考えられなかった。

「夜の寝覚め」
 作者は、更級日記の菅原孝標のむすめという説がある。
 更級日記の作者は自分で考える女性だった。
 夜の寝覚めは複雑なストーリーがからみあっているが、場面場面で濃密な心理描写があり、「源氏物語」の表現スタイルとのたたかいであった、とも言える。

「浜松中納言物語」
 これも菅原孝標のむすめの作といわれ、その可能性は「夜の寝覚」よりも高い、のだそうです。
 モチーフは「輪廻転生」で、三島由紀夫の「豊饒の海」に影響を与えたんだそうです。
 
 主人公である中納言の父親は、死後に唐の皇子に転生。
 その皇子を生んだ唐の后は、中納言と逢瀬を重ね、死後に日本に住む異母妹、吉野の姫君のとして転生する決心をする。

 三島由紀夫の「仮面の告白」には
「幼年時代は時間と空間の紛糾した舞台である」という文章があるが、
「浜松中納言物語」は、正に時間と空間が紛糾した舞台。

 この物語は、手探りで必死に源氏物語の「浮舟の未来」を構想し、書こうとしている。
 源氏物語の結末の孕む問題を見据え、女の側から男へと救済の手を差し伸べる、という物語を、この作者は意識している。

 源氏物語を一歩進める新しい物語の種を宿しているといえる。

「堤中納言物語」
 源氏物語の影響を受けない物語を書くのは、今の人には簡単。読まなければいい。

 しかし、平安時代から明治時代まで日本文化と関わる人々は、好むと好まざるに関わらず、源氏物語から逃れることはできなかった。

 そんな中、堤中納言物語は不思議な短編小説集。
「花桜折る少将」「このついで」「虫めづる姫君」「ほどほどの懸想」「逢坂越えぬ権中納言」など10編の短編と1編の断章から成る。
 
「逢坂~」は、1055年に小式部という女房が創作したことが判明している。
 
 この作品は現代的なエスプリにあふれ、源氏物語だけではない物語の無数の可能性のいくつかを示唆していることが、近現代人に人気が高いゆえん・・・だそうです。

 今週はここまで。
 先生は中村真一郎の「王朝物語」「夢がたり」を読むことをおすすめです。
  







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